統合学では、物事を一部分だけで切り取るのではなく、背景や関係性、流れを繋ぎながら、全体性から捉えていきます。この視点を、学問の中だけではなく、実際の暮らしや社会の中に置いてみたら、何ができるだろう。その問いから始まったのが、この社会実装プロジェクトです。
モノ・時間・お金・知識経験・行動・未来――つながる、めぐる、いのちがひろがる。
私たちの日常には、たくさんの「必要」があります。食事をつくる。買い物へ行く。物を揃える。移動する。家事をする。子育てをする。誰かに相談する。分からないことを調べる。
多くの場合、それらはそれぞれの個人や家庭の中で解決するか、必要な商品やサービスにお金を支払うことで解決しています。もちろん、お金は私たちの暮らしを支える大切な仕組みのひとつです。このプロジェクトは、お金を否定したり、お金を使わない社会を目指したりするものではありません。
ただ、少し視野を広げて周りを見てみると、「買い物だけ誰かにお願いできたら助かる」という人の近くに、「今日スーパーへ行くよ」という人がいるかもしれない。「今日はご飯を作る余裕がない」という人の近くに、「料理を多めに作ったよ」という人がいるかもしれない。使わなくなった子ども用品を持っている人の近くに、それを必要としている人がいるかもしれません。
それぞれを別々に見れば「困っている人」と「できる人」。でも、それらを繋いでみたらどうでしょう。一人ひとりの中で止まっていたものが、ひとつの循環になる可能性があります。
このプロジェクトで試みたいのは、お金をなくすことではなく、お金だけに依存しない生活の回路を、もうひとつつくることです。
人が持っているものは、お金だけではありません。時間。能力。経験。知識。物。行動。そして、その日のちょっとした余力。「特別な能力」がなくても構いません。今日スーパーへ行く。料理を少し多めにつくる。もう使わなくなったものを誰かへ渡す。自分が知っていることを教える。そんな日常の中にある小さな余力も、別の誰かにとっては大きな助けになることがあります。
このプロジェクトでは、一対一の等価交換を目的にしません。誰かに何かをしてもらったから、その人に同じだけ返さなければならない――そうすると、「助けてもらったこと」が新しい負担になることがあります。
ここで大切にするのは、交換ではなく、循環です。Aさんが Bさんの買い物を手伝う。Bさんは、別の日に Cさんへ料理を分ける。Cさんは、自分の得意なことで Dさんを助ける。そして Dさんから、また誰かへ。受け取ったものを、同じ相手へ返さなくてもいい。自分ができるときに、自分ができる形で、また別の誰かへ繋いでいく。
誰が誰にいくら返したのかではなく、全体の中で何が循環しているのか。そこを見ていきます。
人には、余力のあるときも、ないときもあります。料理が得意でも、今日は疲れている。車を持っていても、今日は動けない。人を支えられる時期もあれば、自分が支えてもらう時期もあります。
だから、「できること」を「やらなければならないこと」にはしません。今日はできる。今日はできない。どちらもあっていい。負担なら断っていい。無理をして続けなくていい。
誰かの我慢や自己犠牲によって成り立つ仕組みではなく、無理なく続いていく循環を目指します。
「人に頼るのが苦手」「迷惑をかけたくない」「何か返さなければ申し訳ない」――そんな気持ちが生まれることもあると思います。けれど、人にはそれぞれ違う時期があります。今は余裕がなく、受け取ることしかできない人もいる。今は余裕があり、誰かへ渡せる人もいる。
その状態を固定して、「助ける人」「助けられる人」と分ける必要はありません。今受け取っている人が、いつか別の形で誰かへ渡すこともある。受け取ることも含めて、循環です。
全員が同じ回数、同じ時間、同じ量を提供する必要はありません。人によって、持っているものも、生活環境も、その時の余力も違うからです。ただし、特定の人だけが無理をしていないか。一人に負担が集中していないか。循環がどこかで止まっていないか――そこは見ていきます。
同じ量を出すことではなく、全体として無理なく循環していること。それを大切にします。
実際に人と人が関われば、さまざまなことが起こると思います。「頼みたいけれど頼めない」「断りたいけれど断れない」「私ばかりやっている気がする」「返してもらえないと気になってしまう」――そんなとき、すぐに誰かを悪者にしたり、ルールを増やしたりするのではなく、何が起きているのか、どんな背景があるのか、本人は何を感じているのか、関係性の中で何が起きているのか。全体として、どこで循環が止まっているのか。それぞれを繋ぎながら見ていきます。
これも、統合学の全体性の視点を社会の中で実際に使ってみる試みのひとつです。
人によって「今、提供できるもの」は違います。時間はあるけれど、お金には余裕がない人。経験や能力を提供できる人。物を提供できる人。そして反対に、お金はあるけれど、時間がない。体力的に動くことが難しい。直接誰かを手伝うことはできない。でも、「誰かの役に立ちたい」「この取り組みを支えたい」という人もいると思います。
支援として提供されたお金を、子育て世代の生活を補うために使う。若者の活動や挑戦を支える。高齢者の日常の困りごとを補う。コミュニティの中だけでは解決できない必要に使う。循環を維持するために必要な実費に使う――そんな循環も考えることができます。
「お金か、お金ではないものか」ではありません。時間、物、能力、経験、知識、行動、そしてお金。その人が今持っていて、無理なく提供できるものを、必要としているところへ繋いでいく。お金もまた、全体の中にあるひとつの資源として捉えます。
最初の実証は、小さなコミュニティから始めることを想定しています。たとえば子育て世代。子育て中には、「ほんの少し誰かに頼めたら助かる」という場面がたくさんあります。一方で、その周囲には、別の形の余力を持っている人がいます。そして、この構造は子育てだけに限りません。若者にも。高齢者にも。一人暮らしの人にも。働いている人にも。
世代を越えて繋げば、若者が高齢者のデジタル面を支えることもある。高齢者が経験や知識を若い世代へ渡すこともある。直接動くことが難しい人が、資金によって誰かの活動を支えることもある。子育て世代が地域から支えてもらい、その子どもたちが成長して、いつか別の形で社会へ返していくこともあるかもしれません。
支援する側と、支援される側を固定しない。人も、物も、能力も、お金も、時間とともに立場を変えながら循環していく。そんな仕組みを、小さな暮らしの中から試していきます。
統合学は、分野を細かく分けて見るのではなく、物事の背景、関係性、流れを繋ぎ、全体性から捉えることを土台としています。人の暮らしも、本来は単独では存在していません。家庭。地域。仕事。経済。世代。人間関係。社会制度。自然環境。さまざまなものとの関係性の中にあります。
それを個人の問題だけとして切り取れば、「自分でなんとかしなければならない」という答えになることがあります。しかし、全体を見れば、すでに別の場所に存在しているものを繋ぐことで解決できることもある。
統合学が社会実装として行いたいのは、理論を社会へ押しつけることではありません。全体性の視点を実際の暮らしの中に置いてみる。何が繋がるのか。何が循環するのか。何が循環を止めるのか。人の負担はどう変化するのか。暮らしはどう変化するのか。それを実際に試し、観察していきます。
最初から大きな制度をつくるのではありません。まずは、小さなコミュニティから。困っていること。できること。余っているもの。持っている能力。経験。時間。そして支援できるお金。それらを少しずつ繋いでみる。
実際に動かしながら、何がうまくいったのか。何が負担になったのか。どこに改善が必要なのか。何が新しく見えてきたのか。それを観察し、必要に応じて仕組みそのものを変えていきます。これは、完成された社会モデルを提示する活動ではありません。統合学を土台に、全体性の視点を実際の社会へ置いたとき、どのような循環が生まれるのか。それを確かめていく、社会実装の試みです。
この活動に参加するために、統合学を学んでいる必要はありません。特定の考え方への賛同や、何かを信じることを求めるものでもありません。普通の暮らしの中から参加できます。
「ちょっと困っている」「これならできる」「これ、誰か使わないかな」「直接は動けないけれど、支援ならできる」――そんな小さなところから。
一人ひとりの中にすでにあるものを繋いだら、社会にはどんな循環が生まれるのか。統合学の社会実装として、まずは小さな暮らしの中から始めていきます。
この社会実装プロジェクトは、まだ小さく始まったばかりです。興味を持っていただけたら、まずは公式LINEかメールで、気軽に声をかけてください。